加 賀 介 富 樫 氏 |
林氏と同じく、藤原利仁(としひと)の子孫である富樫氏が、加賀国で勢力を拡大したのは、 天皇が鎌倉幕府を倒そうとした「承久の乱」1221年の後です。 |
安宅の関『勧進帳』左より義経、弁慶、泰家 |
写真中央が高尾城址(高尾山) |
富樫館跡石碑 富樫高家が守護職を命じられ、野市(野々市) の館に守護所を置いた。 |
約400年間加賀の治世を行われた |
高 尾 城 と 富 樫 政 親 |
1441年(嘉吉元)、京都において守護赤松満祐(みつすけ)が将軍足利義教(よしのり)を暗殺しました。この嘉吉(かっき)の乱をきっかけに、
富樫氏では政親(まさちか)と幸千代(こうちよ)兄弟の間で守護職をめぐって争いが起こりました。 (こども金沢市史 金沢市発行:平成14年10月発行 より) |