浄土真宗(一向宗)と人々のくらし

 室町時代には、戦いや争いが絶え間なく起こりました。その頃、人々のほとんどは農業をしていました。 戦いが起きると、田畑が荒らされました。また、田畑でとれた米や作物のほとんどは、地主に差し出さなけれ ばなりませんでした。
 この苦しく不安な生活を良くしていくために、農民たちは、作物がたくさんとれる工夫をしました。そして、 作物の取れ高が少しずつ増えてくると、自分たちの生活を自分たちの力でより良くしたいと願い、「寄り合い」 という会をつくって、相談するようになりました。また、「どのように生きるか」「死んだ後はどうなるのか」 を考えるようになりました。
 このような時代に、北陸にあらわれたのが、本願寺(浄土真宗)の蓮如でした。蓮如は、浄土真宗を開いた親鸞の教えを「寄り合い」の中でも語りました。また、教えを分かりやすく書いた「御文」(おふみ)と呼ばれる手紙を人々に送りました。
 「阿弥陀仏という仏さまの前では、『南無阿弥陀仏』を唱える人はみんな平等です。阿弥陀様は必ずその人を救って極楽浄土へ行かせてくださいます。」
 この分かりやすい教えは、乾いた土にしみこむように人々の心に入り込んでいきました。

(こども金沢市史 金沢市発行:平成14年10月発行 より)

善性寺と蓮如上人の墓
善性寺 (金沢市四十万町)
善性寺境内にある蓮如上人立像
蓮如上人墓所への案内石柱(善性寺向)
山道入り口にある仏像
山頂にある蓮如上人のお墓
参道を清掃する環八会のみなさま

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